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昔、家から徒歩8分くらいのところに、しのくんと言う男の子が住んでいた。
篠原だったか、篠塚だったか、ただの篠だったか覚えていない。
断じて、田がつかなかったことだけは確かだ。

しのくんは、僕よりもけっこう年上で、珠算だか暗算の日本一になったことがある、近所でも有名な秀才で、大変かっこいいお兄さんだった。
多分、その頃は中学生くらいだったのか、小学生になったばかりの僕は、なんとも憧れた。
背が高くて、顔がかっこよくて、頭もいいお兄さん。
そんなお兄さんとお友達になれたら、嫌いな算数も克服できるような気がして、お近づきになる手立てを考えたけれど、小学校低学年には思いつかなかった。

ある日、読書をしていると、母が、「おつかいに行って頂戴」と、言ってきた。
普段なら、本を読むのを邪魔をされて「嫌だ」と、言うところなのだけれど、行き先が八百屋さんだったので、「はあい」と、かわいらしく返事をしてみた。
しのくんは八百屋の息子で、僕が頼まれたのは「ニンジン買ってきて頂戴」だったからだ。

このチャンスを逃がす手はない。
店が忙しい夕方は、しのくんも手伝っていることは、大人の話で知っていた。
子どもなりの知恵を巡らせ、お友達の証として、宝物を献上すれば友達になれると思った。
宝の入った瓶をあけて、”ソイツ”をひとつ取り出すと、母からもらったお札と一緒に手の中に握りしめた。
スキップをしながら、僕はおつかいに行った。

ドキドキしながら、「ニンジンをください」と、話しかけてみた。
おじさんや、おばさんに「はいよ」と、言われたらどうしようと思ったけれど、ニンジンはしのくんが手渡してくれた
(ヤッター!)
舞い上がった僕は、お札と一緒に宝物を渡した。
「こ、これあげます」
そして有頂天なまま、ニンジンを抱えて、ダッシュで帰宅した。
おつりも受け取らず・・・。

後刻、しのくんちの御用聞きの人が、おつりと一緒に、ゲラゲラ笑いながら、僕がやらかしたことを親に届けると言う、余分なことをしてくれたおかげで、笑われるわ、怒られるわ、酷い目に合った。
お友達になりたかっただけで、何も悪いことしてないのに・・・。
おまけに嬉しさあまって、お友達になってください!と、言い忘れたので、ただの悪戯小僧にされてしまい、もうおつかいは行かなくていいことになってしまった。

こうして儚く終わってしまった、僕の初憧れ。
しのくんは、今では元気に八百屋のおじさんになったのだろうか。
そして、僕が献上した宝物”いもむし”は、元気にチョウチョになれたのだろうか。
時たま思いだして、蛾だったらごめんなさいね、と思ったりする。







拍手[4回]

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101128_1503~04.jpg
正月休みも終わるから、昼間から酒でも飲んでみようじゃないかと、チャ友の仮眠さんが仰るので、ひとりでは寂しかろうと、”仕方なく”飲みながらチャットにつきあってしまった。

毎日が休みのようなもので、正月じゃなくたって、昼間から飲むとかは置いといて、酒のつまみからカクテルのレシピなど、途中、休憩、食事、入浴、など、勝手に用事を挟みつつ長時間、話題は多岐に渡り、最終的に、金杯の予想から、昨今の競馬の話になった。

僕が「金杯とは関係ないが、ブエナビスタは好きじゃない」と、言うと、
仮眠さんが「なんで?」と、仰るので、理由を探してみた。

ブエナビスタは、実際に見ても柔らかくていい馬だし、なんとも綺麗な曲線でしなやかだし、顔もまあまあかわいらしいのだけれど、自分的にはイマイチ個性がないと言うか、ウオッカのような、「そこおどき!アタシが女王よ」みたいなエキセントリックな走りに欠ける。と、言ってみたら、仮眠さんが、「わかった。上戸彩が人気あるけど、ドラマで視聴率とれないようなもんか」と、よくわからないけれど適切そうな表現をしてくださった。
確かに上戸彩よりは、米倉涼子のほうが視聴率はとれそうだ。

だいたい、ブエナビスタには、ゴツゴツしたところや、ギラギラした部分がなく、極端なレースもしない。
今までださかった女の子が、必死にダイエットして、別人のように輝いてしまったり、物凄く個性的な女の子が、我が道を行く的な、それを評価する人の好みがきっぱり分かれるようなインパクトがない。

たとえるなら、普通に育ちも頭もよくて、普通に可愛い子が、普通に東大に行くようなつまんなさ。
何の意外性もないので、「やっぱりね」なんて感心されるだけで、誰も驚かない。
僕はどっちかって、とんでもない不良で、ろくに学校にこなかったような女の子が、いきなり海外留学したり、女王様で君臨した、バリバリキャリアになると思われた子が、あっさりとご結婚なさるような、とんでもストーリーが好きなので、ようするに好みでないんです。

そこへ行くと、レッドディザイアあたりは、アイドルとして華々しくデビューして、歌唱力には定評がはありながら、さっぱり曲は売れず、いつのまにか、大映ドラマでチェーン振り回してる不良役の子ぽくてすごく好き。
1.5流とか、A’くらいの立ち位置って素敵だなあ。なんて思っちゃう。

って、教えてあげようとしたら、仮眠さんたら、「もう、ぎぶあっぷしてよかですか?」と、最後の一杯が飲み干せず、俺はがんばった・・・今日はがんばった、、、と、つぶやいて、ケヤキの向こうのツインターボのように、ズブズブと沈んでいかれた。

おっといけない、こんな話より金杯。
と、思っていたのに、画像を探している間に、ゾロ目にやられた。

拍手[1回]


どうしようもなく、悲しいことがあったり。
とてつもなく、やりきれない気持ちになった時。
僕はよく散歩をする。


昨年の夏、殺人的に糞暑いさなか。
山手線のある駅で降りた。
父と母が、まだ新婚で、僕の年齢が一桁だった頃、住んでいた場所だった。


住んでいた家は、道路の拡張で跡方もないけれど。
駅前の漢方薬やには、猿の頭は無くなっていたが、猿のこしかけは売っていた。
裏道には、今では意味がわかる、怪しげな玩具屋(not子供用)や、休憩と書かれた看板がひしめき合い、何故か自販機には赤まむしドリンクが入っていた。


子供の頃、夏でもひんやりと暗い場所があり、赤と緑の綺麗な噴水があった。
”涼しくて綺麗な場所””昼間なのに夜”は、子供たちにとって大変魅力的で、いつもそこに雪崩こんでは、知らないおじさんに叱られていた。
「子供はこんな所で遊んではダメだよ」と。
今になって考えれば、そこはラブホテルの駐車場で、噴水が現存するかは、確認のしようはなかった。


学校の近くの駄菓子屋はピザ屋になっていて、豆腐屋は変わらず鎮座していた。
猿の石版(庚申塚)は、相変わらず排気ガスまみれで、交通事故を見ない、騒音を聞かない、排気ガスを吸わないに見えた。
子供の頃には、大きな川のように見えた道路は、案外ちっぽけで、巨大建造物だと思っていた建物も、普通の古ぼけたビルだった。


自分がガリバーになったような不思議な光景の中、幼い僕が駆けていった。
駅前の昭和の香りの喫茶店は、もうとっくになくなっていて、時間は流れるんだなあ。と、思った。


思い出の詰まった景色を客観的に眺めた時。
大人目線と子供目線の違いを知って、父はもういないのだと納得できた。
切ないけれど、懐かしい空気を吸い込んで、一周忌とやらを満喫した。
熱射病になりそこなった。









拍手[1回]

なにがあっても、陽はまた昇る。

初日の出って、そんな言葉を実感する儀式なのかもね。



拍手[1回]

数日前、師走の街を歩いていたら、友人からメールが来た。
要約すると。

寿命ってもっと長くならないのですか。
無限 くらいに。と。

シリアスな内容だったので、歩きながら返事をするのも失礼と思い、近くにあった割と珈琲の美味しい喫茶店に入った。
本当は、少し歩くのにあきてたなんて内緒だけれど。

年末の午後の喫茶店は、8割がた、1人で来ている年配者だった。
窓から差し込む陽射しが、白髪頭(一部頭皮)に降り注いで、なんだか陽溜まりみたいだなと思った。


生きるとか、死ぬとか、寿命とか。
近年考えさせられる機会が増えた中で、漠然と思っていることがある。
年齢を重ねて、あらゆる反応が鈍って行く現象、平たく言えばボケる。ってことは、死に対する苦痛や恐怖から解放されるための天からの贈り物なんじゃないかと。
長く生きていればその分、楽しかったことと同じくらいの悲しい場面にも遭遇しなければならないかもしれず。
今まで人生を投げ出さずに生きてきたことへのご褒美なんじゃないかと思ってる。
なので、僕はボケたご老人を見ても腹がたったことはない。

もうひとつ思うのは、人は死ぬ時何を思うのか。
たとえば。年老いて死ぬときに、苦痛に満ちた瞬間や、とてつもなく悲しかったことなんか思いだしたら、それはそれで死んでも死にきれないと言うか、すごく嫌な気持ちのまま、人生を閉じるのはあんまりだと思う。

2年前、叔父が亡くなった時、もう長いこと入院していて、自分の妻や、まあ妻くらいは理解していただろうけれど、僕の母である、叔父にとってのたったひとりの妹や、甥である僕の弟や、あれほど可愛がっていた弟の子供ですら、認識できていたのか怪しいので、それなりの覚悟をして見舞いに行くように、母からは聞かされていたけれど、僕が見舞いに来たことだけは、何故かはっきりと認識していて、翌日、叔母に言ったそうだ。
「黄金がきたよ、かわいかった、今までどこに行っていたんだろう」と。
そう言えば、僕が病室に顔を出した時も言っていた。
「おまえ、今までどこに行ってたんだよ」と。

葬儀の席で、あらゆる、あまりお話もしたことがないような親戚から、子供のいない叔父が、どれほど僕を可愛がっていたかを聞かされ、それは現存する写真や、自身の記憶からも自覚はしているのだけれど。
もしかして、あの時、叔父が見ていたのは、今現在の僕ではなく、幼いままの僕だったのではないかと思ったら、いろんな思い出が津波みたいに押し寄せてきて、涙がとまらなくなったっけ。

更に前、父方の祖母が亡くなった時、亡くなる3日程前に突然電話がかかってきて。
「死ぬ前に、もう一度競馬場に行きたい」と、変な我儘を言われた。
とても暑い夏で、おこずかいをもらっても、杖をついた、よく喋る年寄りを連れて競馬場になんか行きたくなかったので、「お爺ちゃんはとっくにいないのだから、行っても馬主席には入れないんだよ」と、丁重にお断りした。
第一、そんな場所に連れ出して、暑さで体調でも崩された日には、顰蹙を買うのは僕だ。
珍しく、祖母が食いさがり、やっとの思いで「秋になったらね」と、電話を切った数日後に、死んでしまうなんて思えないほど、ぴんぴんしてたのに。
僕は、今でも競馬場に行くたびに、心の中で祖母にちょっとだけ詫びる。

本当は、祖母は、孫と競馬場に行きたかったのではなく、祖父との若い頃の思い出の中に身を置きたかっただけで、実は孫も馬もどうでもよかったんじゃないかと思ってる。
祖父の馬道楽と芸者遊びを孫にまでこぼしていたくせに.
100まで生きる勢いだったのに.
多分、本人にだけ、漠然と人生の終焉の予感があったのかもしれず。
そんな時に、祖父との思い出の地に行きたがったとは、よく考えたらかわいらしい。
若くして亡くなった、僕が会ったこともない祖父は、きっとダンディーな人だったのだろう。
祖母は死ぬまで、筑紫哲哉と真田広之のファンだった。
でもきっと、死ぬまで恋をしていた相手は、祖父だったのだろう。

叔父にとって、幼い僕を連れ歩くのが幸せだったのだろう、た、多分。
祖母にとって、若い頃の祖父の馬道楽に付き合う事は、文句の数だけ幸せだったのかもしれない。
人生の最後に当たり、人はそれぞれに、一番幸せだった景色の中に旅だっていくんじゃないだろうか。
エンドレスな人生はないけれど、終わらないしあわせな夢の中へ帰っていくのなら、悲しいけれど、人生お疲れ様でしたって、見送ってあげることはできる気がする。


午後の喫茶店で、人生終焉近い人たちの頭に降り注ぐ日差しを見ながら、そんな考えをかなりコンパクトにまとめて返信した。



 

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以前、僕が使っていたサイトに、こんな書き込みがあった。
「将来、競馬の騎手になります。4年後は応援してください。」
中学生らしい子が 、夢を綴った書き込みだった。
かわいいなあと思った。
そのまま忘れてた。


数年前、競馬新聞を見ていたら、どこかで見かけた名前があった。
中学生は、本当に騎手になっていた。
夢を実現できたのだなと思った。
応援馬券を買い続けた。


何も、本名で書かんでも・・・と、ちょっと思った(笑)。


今日、競馬中継を見ていたら、ゴール前の叩き合いで、その子が乗った馬が勝った。
落馬の負傷で、つらい時もあっただろうに、よかったなあと思った。
夢を夢で終わらせなかった努力に、拍手を送りたいと思った。


それに引き換え、かわいいなあ、なんて言っていた大人たちの停滞っぷり。
最近じゃ、夢は寝て見るものなんて答えてた。
このままでは、お恥ずかしい限りなので、まずはブログの再騎乗から始めてみます。


宮崎北斗騎手 愛知杯 優勝おめでとう。

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